★広告代理店
エイア親子は1869年に広告代理店の仕事に入りましたが、息子のフランシスはスペース・ブローカーとしての自分を「行商人」となじった友人の言葉に発奮して、「もう注文取りにはなるまい」と心に誓いました。
従来は広告代理店はスペース・ブローカーとして新聞の広告紙面の一部または全部を卸値で買い取り、これを広告主に小売りしていたわけであるが、当時は新聞や雑誌の発行部数が明らかにされていないのにつけこんで、不当に高い手数料を請求する業者も多かったそうです。
こうした慣行に対し、エイアはまず第1に、1875年に広告主に対し、オープン契約を取りかわし、手数料のレートを12・5%とし、のちの固定率制に先鞭をつけました。
ちなみに、1893年にアメリカ新聞協会(ANPA)が15%の固定率を設定しました。